綾川の暮らし

 朝、目を覚ますと「ホーホケキョ」の声が聞こえてくる。ウグイスの言葉はわからなくても、「ホケホケホケホケ・・・」と元気よく連呼しているのを聞くと喜んでいるように思える。今日は何をしようか。何をしなければならないか取りこぼしのないよう思い出すのではなく、綾川に引っ越してからすることはむしろ増えたがその中から今日することを選ぶのが楽しみになっていることに気が付く。
 庭の片隅で見つけたセメントのブロックにバーベキュー用の網を乗せ、大きな石で囲んだだけの簡単な炉に、玄米と小豆を入れた黒い大きめの土鍋と、味噌汁用に切り干し大根などの具を入れた黒い中くらいの土鍋と、煤で真っ黒になったヤカンを乗せる。
 乾いた葉のたくさん付いた剪定枝を二、三本拾い、炉の近くに持って行く。マッチを擦る。葉から葉へ勢いよく火が燃え移り、顔に受ける熱が心地よい。煙の香りが眠気を飛ばす。放り込んだ小枝はすぐ炭となり灰となる。火が盛んなうちに、乾燥した太めの幹を小枝の上に置く。時々火が勢いを増し、土鍋とヤカンが下から上まで火に囲まれる。土鍋の蓋の小さな穴から湯気が昇り始める。少しの間、手を休め、枝が燃える様子を何も考えずに眺める。そろそろかと思い玄米の鍋の蓋を開けるとお湯が暴れ回っているが、次に開けたときにはお湯は姿を消し、ふっくらとした玄米の粒と粒の間に規則正しくできた窪みが、そろそろ炊きあがったことを知らせてくれる。
 木を燃やした火で炊いたお米や味噌汁はやっぱりおいしいと、毎回のように思う。熱々の味噌汁の口当たりが柔らかい。知識としても頭に入っていたが実際、身体をよく温めるように感じる。お金もかからない。自然の恵みに感謝せずにはいられない。
 麦わら帽子をかぶり、鎌や軍手や野菜の種が入った段ボール箱を自転車のかごに入れ、竹の見える坂道を下って田んぼに向かう。高く盛り上がった畦に自転車をもたせかけ、ふかふかの土に足を踏み入れ、すぐに草刈りを始める。草刈りのし過ぎで痛めた首と背中と肩の間辺りを意識しながらおそるおそる刈っていく。ノコギリ鎌が草を切るザクザクという音が耳に心地いい。草と土の香りが身体を癒してくれるように感じる。そっと吹く風が暑さを和らげる。
 前日のことが頭に浮かぶ。夕方、自宅の裏庭で夕食を作っている途中、剪定枝を取りに表に回ると、相方が仲良しの友人にメールを書くときのようなうれしそうな顔で草刈りをしていた。
「肩痛くならん?」
「大丈夫。ゆっくりゆっくりやから」
 その夜、ことでんで仏生山温泉に行き、湯船に浸かっていると、隣にいる若者二人が野球のバッティングフォームの話をしているのが聞こえてきた。
「上手な選手はここにしかマメができんのやと。イチローもそうらしい」
 何も考えずに草刈りをするのが好きだが、指や腕や肩に力を入れず、身体の中心に体重をかけ、前屈みになり過ぎないことを意識しながらゆっくりと刈ってみる。意外にも、力がほとんどかかっていないようでも草が刈れる。すばらく刈り進めるうちに、残りの草が気になったが、先を気にしては疲れるだけだと思い、目の前の草に集中しようとする。痛みもなく身体が動き、ゆっくりでも今こうして草を刈れていることに、感謝という言葉が浮かんでくる。
 いつの間にか辺りの景色の色が薄れ、西の空低くであたたかなオレンジ色の日が眩しい光を放っている。身体に痛みが出ず、この頃にしては草刈りが一日でずいぶん進んだことを確認する。この調子でいけば田植えまでに間に合いそうだと思い、仕事を終えた疲労感も心地よく感じられる。
 ひと月程前から週に一度、堤山の麓にある山一木材の木工教室で、コンポストトイレ用の木製便座を作るのを手伝ってもらっている。その帰り、国道沿いのイオンで待ち合わせた相方と夜道を自転車で走る。ひんやりとした風が半袖のTシャツをたなびかせる。ため池に架かった橋を渡りながら、その向こうに見えるおにぎり型の小さな山を見る。明かりの灯った、横一列に並んだ窓が山の麓に重なり、それがまるで山に開いた窓のように見える。ファンタジーのような世界を想像したくなるが、あれは病院の窓かもしれないと思うと、楽しい気持ちにもなり切れない。
「高慢にならず
 卑屈にならず
 他人と比べず
 過去や未来の自分とも比べず
 今が一番幸せと
 思える自分でありたい」
 橋を渡り、交差点の赤信号を見て自転車の速度を緩めながら、そんな言葉が浮かんできた。
 道路に聳える石の鳥居を抜け、坂道を上る。人工の明かりが少ない場所で見る夜空がこんなに真っ黒だとは最近まで知らなかった。そこに輝くたくさんの星々を見上げながら、そのうちゆっくり眺めてみたいと思う。