足音

 打ち込めることのある者は幸いである。夢中になれることに、誰でも巡り会える。今は心当たりがなくても、時を待てば。そして、自分の心の声に耳をすませていれば。
 難しく考えだすと、かえってうまくいかないようだ。ただただ、日々、心の赴くままに、楽しく、ときにのん気に、ときに真面目に、他人と争わず、自分なりの歩調で行く。ときに走り、ときに休みながら。気が付けば巡り会っている。あるいは既に巡り会っていることに、まだ気が付いていないだけかもしれない。
 好きなことに一つか二つは、誰にだってある。そう言われてもすぐに思い浮かばないのは、毎日が忙し過ぎるからかもしれない。今日中にやらなければいけないこと、できれば明日か明後日には終わらせたいこと、今月中にやる予定だがまだ手を付けられていないこと。そういうことなら次から次へと思い浮かぶのが、ほとんどの人の日常かもしれない。
 夢。希望。光。愛。感謝。これらの言葉を見て、何を感じるか。心にある種の反発が生じるなら、休息を必要としているときなのかもしれない。心と体は何を求めているのか。自分の心と体にきいてみる。根気よく耳をすませていれば、そのうち教えてくれるにちがいない。
 心と体が求める方向への行く手を阻むものは何か。それも、自分自身の心と体が一番よく知っている。他人の助けもありがたい。自分の心身だからといって、いつでも最もよくわかっているのは自分だとは限らない。他人がそっと、あるいは厳しく、教えてくれることもある。
 心落ち着ける場所で、静かに、目を閉じ、呼吸を整える。心の中に、あたたかい明かりが灯る。それを頼りに、一歩ずつ、歩みを進める。
 過去の自分。今の自分。未来の自分。人は、変化して行く。人生は行く先々に学びがある。何かを得ることも、捨て去ることも学び。経験を重ねるうちに、過去の見方、考え方、感じ方と同じではいられない。
 行く手に立ち塞がるのは、プライド、偏見、無知、他人の評価や社会的評価へのとらわれ、臆病心。自分の外に目が行きがちだが、解決は自分の心の中で生じる。
 心を惑わし迷わせるものを遠ざけると、孤独も付きまとう。しかし、本物の仲間にも出会える。心を打ち明けて話ができる仲間。言葉少なくして心を通わせることのできる仲間。そんな仲間を、誰もが探し求めているのだろう。そんな仲間に、誰もがなりたがっているのだろう。もう自分にウソをつくのはやめにして、もう誰かにウソをつくのはやめにしよう。
 そして一人そっと、一歩踏み出す。また一人、静かに、だがしっかりとした足取りで歩み始める。
 いくつもの年月をかけて歩いた跡を振り返り人は、ずいぶんと遠くまで来たものだと感じる。視界の霞が薄れ、周りを見渡すと景色が一変している。
 また一人。そして、また一人。この道を歩き始めた人々の足音が聞こえる。

(二千十三年十二月三十一日 記。二千十四年六月二十八日 改稿。)